あの日の延長にある今日を思うこと



昨日、たまたまテレビをつけるととサンドイッチマンの番組が放送されていた。普段は地域のお風呂に浸かって地元の人々と交流をする、楽しくて穏やかな雰囲気のロケ番組なのだそうだけれど、今回2人が訪れたのは東京電力福島第一原子力発電所だった。

大震災から10年が経った今、施設のなかでいったい何が行われているのかを身をもって伝えようとしてくれていた。


着るのに20分かかる防護服、三重に手袋をはめ、分厚いマスクをかぶる。外気との接触を一切作らないために。身体をすっぽりと覆う防護服の中はそれだけ呼吸が浅くなり、慣れない人は頭がぼーっとするという。そういう装備で、2人は案内に従い水素爆発が起きた地点に近づいていく。留まれる時間は限られていて、退出時は案内の方も少し語気を強めながら外に出るよう急かしていた。

原子炉のなかには、今も、1時間で人が死に至るほどの高濃度の放射線を放つ燃料が800トン以上残っている。その燃料を取り出し、廃炉を行う。完全な廃炉までには半世紀かかるといわれている。世界でもまったく例のない試み。東電の社員の方々が、「責任」といって身を投じていること。

まったくの偶然だったにせよ、この番組を観ることができて本当によかったと思う。
あの日から今日まで、伝えられてきたニュースで遠い東北の地のことを知ってきたつもりだけれど。だんだんと薄まる香りのように、世の中からはやっぱりどこか、忘れたり変化したりするなどして震災の空気は消えかかり、次第に穏やかになってきている。同じように忘れたことが多い私には驚きや恐怖を覚えてしまうくらい、強烈で、もっともっと生々しい被災地の現状に僅かながらに触れることができたし、誰かの悲しみや苦労や努力が言葉以上に想像できる機会になったのではないかと思う。


「風化させてはいけない」とはどういうことなのかな。

国の措置や(今回の東電をはじめとする)企業・団体の取り組みを追うこと。
今現在も行方不明のまま、あてどもない大切な人の命があると忘れないこと。
あの日から世界が真っ暗になるくらい、辛く悲しい思いをした人がいたと考えること。
前に進もうとしている人を形を問わず応援すること。
テレビ画面で観た家が流されていく場面を、その家一つ一つに生活があったことを思い出すこと。
10年前のそのままが残っている、足を踏み入れてはいけない帰還困難区域が今もたくさん存在していると知ること。

まだまだたくさん。はっきり正解とはいえないけれど、正解が何かより、本当にそんな行いをひとつひとつ…見捨てずにいたい。

震災から今日まで10年間。
日数にすれば3653日だった。

あの日のことは、あの日だけの、突発的に起きた現象ではなくて、
その次の日もその次の日も、次の年も、何年後になっても、連綿と続いてきたことなんだって私はずっとそういう感覚をこれから先も持ってなきゃいけない。


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