会社を辞めた話
もう随分と前のことのように思うし、今更な文章になってしまうけれど。
3月末をもって、2年間勤めた会社を退職した。去年からずっと上の人に訴えて、長い間悩んでいたことが、漸く現実になった。
仕事は当たり前だけれどキツかったと思う。夏にはパワハラがあった。当時は表情も口数もなかったと言われた。毎日違う職場を転々と、予告なく移されることも。自分の仕事以外に、若いという理由だけで仕事を覚えない人たちの肩代わりをしていた。
仕事の大変さ、忙しさなんかは我慢できても、それ以外の会社の醜さが耐えられなかった。蔑ろにされている感覚が耐えられなかった。醜いこと全部ひっくるめて会社のことを信じられなくなった。
大切な人、大切なことにもたくさん出会えたというのに。
苦しい、とよく考えるようになった。でも私には私なりのプライドがあって、私を苦しめる人達と同じ様な働き方をするもんかと必死だった。でも反面、言葉がどんどん汚くなった。心が荒んでいくのを感じた。それがすごく嫌だったな。
ほんとに苦しかったなぁ。感覚が麻痺する前に辞められてホッとしている。開放感。自分を大切にできるという安心感。最後の方は苦しみの波に次々と呑まれる日々だった。あの一ヶ月は気力で持ち堪えたぞ。
あれほど苦しめてきた人たち。最後の日、まるで何事もなかったかの様に皆とても爽やかに挨拶をしてきたのが印象的だった。あの場所はきっとこれからも何も変わらないだろう。また代わりの駒を探すのだろう、都合よく仕事を擦りつけるのだろう。よくない事態が目の前で起こっても知らぬ顔をするのだろう。彼らの生き方は本当に惨めだ。それまでその対象だった私と同期の子がいなくなって、あの人たちが思う存分苦しめばいいと思っている。均衡がガクリと崩れて。…私こそ醜いな。
でも辞めて少し経った今は、そういう憎しみの角がとれて、少しずつ仕事の記憶を失くし、平かな精神を…取り戻しつつある。
辞意を伝えた一月は、とても愚かだけど、世の中がこの様な悲惨な状態になっているとは露ほども考えておらず、自分の努力次第ではやりたい様に次のステップを踏めると思っていた。面倒な時期に辞めてしまったな(苦笑)考えがどうにも甘い。これからは想像する以上の試練が待っているかも。私に関する物事が「コロナウイルス」によって阻まれ、心配事を常に傍に置いて生きることになるかも。それがちょっとだけ怖い。味わったことのない不安に出会すかも。
でもおととい兄と電話したとき、それでも苦しい職場を辞めたかったのだから後悔はしなくていいと、そんなところはやめて良かったと、そして些細なことでも今やれることをやっておけばいいと諭してくれた。
少し先の未来に対する絶望的な気持ちと、大切なことに取り組んでいれば大丈夫という前向きな気持ちと、交互に振り回されている日々。
世の中全体が苦しい今だけれど、前に進むためには前向きに生きないといけない。
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