あなたたちを苦しめる醜い世界



動物の命を蔑ろにするものは全てが嫌いです。個人、団体、この国にある間違ったペット感覚(ペットを飾りや玩具と勘違いしている人、それを促す業界)も。
このニュースは、耳に入れた瞬間怒りと絶望が混合し身体の力がなくなってしまいました。

20年間で、言葉巧みに全国から200匹以上の犬猫たちを引き取り、狭いゲージに閉じ込め、世話を放棄したどころか弱り果てた子や息絶えた子らを地獄の様な環境に放置した。
餓死、衰弱死。
あんな場所で生き残ってくれていたのは、犬猫合わせておよそ24匹…その子たちも栄養失調をはじめ身体の状態が良くないのは保護後の写真の様子からもわかる。
たくさんの命を粗末にした、大量殺害、人の心がある者ができる行いとは思えません。今回のニュースについてある人がSNS上で言っていた言葉ですが、「保護されたはずの犬猫たちは地獄から地獄へ移動しただげだ」、ほんとうにそうです。生まれて、生まれた場所から引き渡されて、餌も水もない、たくさんの排泄物にまみれ、悪臭・虫、病気、痛み、生きていることの苦しみ。…苦しみを超えて感情や感覚を失ってしまったかもしれない。息絶える瞬間、どうして自分は生まれてきたんだろう、と悲しく思ったかもしれない。
本当に本当にごめんなさい。幸せにならなくてはいけなかったのに。苦しい思いをさせてしまって本当にごめんなさい。

我が家にも、その様な地獄からやってきた子がいます。(15年前の広島のドッグパーク事件の際に引き取りました)
今回のニュースをみて「いい加減にしてくれ、まだこんなことが起きてしまうのか」と絶望に打ちひしがれています。動物たちが、人間の都合によって苦しむ世の中なんてなくなってしまえばいい。

過剰出産・繁殖、飼育放棄、殺処分、虐待。調べれば調べるほどこの国にあるあなた達にとっての地獄を知ります。「生き物苦手板」という動物虐待の動画を上げる掲示板は、過去に閉鎖の署名が集まったにもかかわらず現在も存続しています。私がこの世で一番憎しみを抱き、苦しみの末の死を心底望んでいるのが、こうした動物虐待愛好家たちです。

問題の多さに、やるせなさと無力感を覚えます。いったいどこから手をつけたらいいの。でも絶対に忘れたり目を背けたり、他人事にはしません。未だ不十分な「適正な飼養」に関しての法整備(罰則の強化も含めて)を進めるよう努力し、見張り、実現させます。絶対に。この世界から少しずつでもそんな醜さが消え失せるように。苦しいこの世で、生きる意味を見出せずに天国へいったあなたたちの命の分まで、これから幸せになる命を増やしていきます。

正しいボランティア精神のもとで始めたというけれど、自分の意のままにいかず抱えきれなくなってしまったのだろうけれど、私自身はあの女に重い罰を求めています。事の凄惨さに同情の気持ちが欠片も持てないのです。しかし過去の判例を鑑みてこの様な人間に対し、しでかした行いに見合う刑罰は下されないかもしれません。人の生みだした法のもとでは、動物への悪質な飼育や虐待、殺害とは、それほど大した悪ではないのでしょうか。

動物保護のボランティアとは、体力的にも金銭的にも、精神的にも口で言う以上の労力を伴うものなのでしょう。それらを現在進行形で行っている方々には頭が下がります。あの現場に生で向き合う辛さについても考えます。すでに手遅れなことだってあったけれど、24匹の命を救い出してくださって感謝しています。


実際に現場での保護活動をされた方の文章



未だ身体も心も苦しいだろうけれど、懸命に生きていってほしい。この世には楽しいことや嬉しいことも、綺麗な場所も美味しいご飯も、安心も喜びも絶対にあるから、苦しみを上回るそういう幸せをこれから生きるなかでいつの間にか実感するようになってほしい。





※6月6日(土) 朝
たくさん加筆しました。

大切な命が十分に守られない現状に絶望した昨夜ですが、そのあと近年の動物愛護法改正にまつわる記事や、凄惨な動物虐待の内容をネットで追い、気づけば明け方になっていました。
私の関心が今回の保護ボランティア問題から過去に逮捕者も出ている個人による快楽目的の虐待にまで広がり、ネットだけの情報ではあまりにも乏しいとわかりながら、それでも過去の出来事を次々と調べていきました。2017年の猫虐待事件については詳細に説明されたまとめサイトのようなものもあり、苦しさを我慢して大半は読み終えましたが画像をみることがどうしてもできませんでした。
動物愛護法違反で摘発した動物虐待の事件数が年々増加していること、悪質なボランティアが存在すること、それぞれが「動物愛護」に対して持つ感覚が異なることなど、問題が改善されない負の事態。

私が昨夜唯一持った希望の光が、タレントである傍ら動物愛護の活動をしておられる杉本彩さんの存在でした。彼女は「公益財団法人動物環境・福祉協会Eva」という、動物の命の尊厳を守るための啓蒙啓発を行っている団体の理事長をしており、20代の頃から継続的に熱心に活動を続けておられます。国会議員に法改正を求める署名を提出し、シンポジウムを開き、裁判の傍聴席に座り、国民の「ペット」に対する感覚自体にに異を唱える。現実に起こる悲惨なできごとを前に、常に冷静に、現在進行形で果敢に立ち向かっている姿がありました。





彼女のブログやEvaの活動報告からそうした冷静な姿勢をみて、ずっと闘っている人がいるのだと分かり、昨夜抱いた自分の中の絶望感が少し薄れた気がしました。まだまだ改善の余地が多いけれど、それでも彼らのおかげで動物愛護法の改定が実現していることに喜びの気持ちが湧き上がります。何も変わっていないわけじゃなかったのだと。
杉本さんの信念や活動内容に、大きく大きく共感を覚えました。ある取材のなかで「法律が動物をモノとして扱っている。その感覚が国民に浸透している。」という発言を残しておられることにも、認めたくはないものの心の中でそうだそうだと思いました。




表向きには「命の大切さ」を謳う世の中ですが、現実として社会の中でも動物に対するその意識はたいへん薄いものだし、全員の意識にも濃淡があるのだと思います。私自身が「これは動物にとってよくない」と思うことが、他の人にとってはさほど害のあることではない、というように。逆もまた然りです。食に関して言えば、毎日肉や魚を食べることがなんの意識も感じないくらい自然なことだけれど、そうでない人もいます。

そういう意識の濃淡差が悪い方向に転換してしまうのが、保護放棄や虐待案件につながるのではないかと考えています。

だから法なのだと思いました。

皆の意識を同じにすることは不可能でも、動物たちが利益や悪意の渦に巻き込まれ、苦しみ命を失う世界を変えなければいけない。危険な目に遭うまえに、きちんと法律を翳(かざ)して命を護れるように。

感情的に今までの問題について考えていることを否定できずにいます、悲しくなったり絶望したり目を覆ってしまったり。

しかし今現在も動物愛護法の改正のために尽力している方の存在というのは、私も一つ一つにできるだけ冷静な目を向けて動物の幸せのための行動をとりたいという強い意志を植えつけてくれました。
微力でもまずは署名やEvaへの支援に積極的に動こうと思います。




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