kimochi
伝えたくて、必死になって説明をしてもほとんど伝わらない。違う言語の世界にいるのかと思うくらい。自分の言動、それから存在そのものに自信がなくて人と話すと繰り返し「すいません」と言ってしまう。
たくさんの失敗を、たくさんの惨めな思いをした。
そのせいで怒りを向けられたり、努力ができない自分がいっそう哀れに思えたりもした。
労働することに適応できていない、適応できていないから毎日が怖い。ほんとうに何もできなかった週は、「世界中にいる犬や猫の目ヤニをとってあげることだけを仕事にしたい」なんて思いながら生きていた。本気で思った。
仕事の優先が理由で、ずっと前から予定をたてて楽しみにしていたことを諦める日があった。なぜ諦めることを選んだのか、そのことが悔しくて過ぎ去った状況に納得したくなかった。
そういう、今夜までの一ヶ月のこと。
生きていく何もかもにおいて、惨めで不器用でしんどかった。生きるのがいつまで経っても下手くそで、いい加減、少しは熟(こな)すことができないかと、自分の怠慢な部分を棚にあげて思う。
もっと自分の人生に希望を抱きたい。希望を抱けるような行動ができる、その精神を持ちたい。
そういえば、さっきYouTubeのプレイリストを適当に再生していると、久しぶりに、向井秀徳さんと林檎さんがZAZEN BOYSの『KIMOCHI』を歌う動画が流れた。言葉のぜんぶの意味がわかるから苦しかった、それに嬉しかった。
明日からも人生の片隅にある大切なものや難しいことに喰らいついて格好悪く生きたい。
読み返していてネガティブな言葉ばかり連なっているけれど、これは自分なりに(気持ちが)前を向いている話。
今日、ピアスの穴の位置をなかなか決めることができなかった。
耳に描かれたふたつの印の、どちらに決めたらいいかわからなくなってしまって頭のなかが混乱したけれど、
(迷い続けてることが情けなかったのに)
お姉さんが横からヒョイっと「あいだをとって、これらの真ん中にしてみます?」と楽しそうに言ってくれて、心が軽くなった。
そういう考え方を教えてくれたのが嬉しかった。
その後は穴を開けるのもクリニックを後にするのも家に着くのもすべてが一瞬で、滞っていたものがサラサラと流れていく気持ちのいい感覚だった。
私の耳の穴はこれから先もちょっとずつ増えていくのだと思う。
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